この世にカレーがある限り、私には糖質制限はできないだろう。

私ももう30歳半ばになり、色々と自制心が利く男になった。

お酒による「失われた記憶」を作る事もなくなったし、終電で帰れる男になった。

 

とにかく自制心の塊のような男になったのだ。

しかし、そんな自制心の塊のような私でも、唯一自制心が利かないものがある。

そう、カレーだ。

 

「カレー」

その言葉を聞いた瞬間に私は無意識にご飯を6人前程盛ってしまう。

そして話も盛ってしまう。

本当は2~3人前だ。

カレーを食べる時はついついテンションが上がり、食べ過ぎてしまう。

 

「カレー」

この1秒ほどの言葉にどれほどの幸せが詰まっているのだろう。

あなたはこの1秒ほどの言葉にどれほどの幸せが詰まっているか考えたことがあるだろうか?

私はない。

 

なぜ自制心の塊のような、むしろ自制心そのもののような私が、ことカレーになると心のリミットが外れ、食べ過ぎてしまうのか?

 

なぜ?

 

そう考えた時、あるフレーズが私の頭をよぎった。

 

「カレーは飲みもの」

 

昔、とある芸人が言っていたセリフだ。

その時は”D”の戯言だと皆笑っていたが、そこに罠があった。

私達は幼い頃からカレーは食べ物だと教えられてきた。

しかし、彼は真実に気付いたのだ。

 

そう、

カレーは食べ物ではなく飲みものだという真実に・・・

 

それなのになぜ笑われたのか?

答えは簡単だ。

 

真実を知られると都合が悪い者が、

真実を知られぬように笑い飛ばす。

 

いつの時代だって

真実を語る者が笑われてしまうのだ。

 

あなたは『進撃の巨人』という漫画を知っているだろうか?

 

その漫画で「コニー」という男が「あの巨人はお母さんなのではないか?」と感付いた時、それを悟られてはまずいと思った人物がその発言を笑い飛ばすというシーンがあった。

 

まさに「カレーは飲みもの」と同じシチュエーションである。

 

つまり、『進撃の巨人』も「カレーは飲みもの」という事実に気付いていた訳だ。

 

進撃の巨人=カレーの物語

 

こういう図式が成り立つだろう。

そして先程「カレーは飲みもの」という真実に気付いた芸人は、死んだ・・・

私はこの事実に気付いた時、ガタガタと震えが止まらなかった。

 

と、同時に一人の友人が心配になった。

数年前、友人達と飲みに行った時の事、私は一人の友人に質問した。

名前を明かすと危険なので仮に友人Aとしよう。

 

私は友人Aにこう問いかけた。

「ご飯食べてきた?」と。

 

そんな私の問いかけに友人Aはこう答えた。

「いや・・・、カレーライスしか食べていない」

 

大事な事なのでもう一度書こう。

 

私の問いかけはこうだ。

「ご飯食べてきた?」

 

そしてその答えがこうだ。

「いや・・・、カレーライスしか食べていない」

 

「ご飯を食べてきたか?」という質問に対し、「いや」という否定から入っている。

そして「カレーライスしか」と言っているのだ。

その時は思わず笑ってしまったが、今にして思えば、友人Aは気付いていたのだ。

 

そう、「カレーは飲みもの」という真実に・・・

 

そして、その事を私にそれとなく伝えようとしていたのだ。

それなのに私は気付くどころか笑ってしまった。

 

私はなんてバカなのだ!

大バカ者だ!!

 

友人Aの隠れたメッセージに気づけぬとは・・・

彼の身が心配だ。

大丈夫だろうか?

あえて連絡を取るようなことはしないが、どうか無事でいてほしい。

 

しかし、この事ではっきりとした。

カレーは飲みものだからついつい食べ過ぎてしまう訳だ。

いや、むしろ飲み過ぎてしまうという表現が適切だろう。

 

「食べ物だと思っていたら実は飲みものだった」

 

知ってしまえばよくある話かもしれない。

私の自制心がどうのこうのという問題ではなかったのだ。

 

「カレーは飲みもの」

 

今後はこの事実をしっかりと受け止めて生きていこう。

そしてどうか安心してほしい。

私は消されたりはしない・・・