Click edit button to change this text.高橋統仁です。

先日、久しぶりに家族4人で近所の公園に行ってきました。

全力で子供たちと遊ぶのもキツクなってきたのもあり、

めんどくさそうな嫁を誘って行ってきたのですが、

やはり体力の衰えは隠しけれず、

私は公園の丸テーブルのベンチで一休み。

この公園は、私が幼少のころかある公園で、

様相は結構変わっていますが、

私が幼稚園の頃、遊んだ遊具もチラホラ現役であります。

幼稚園から、小学校まで、ここでは良く遊んでいました。

夏安もにはラジジオ体操も、この公園でしたし、

野球の練習もココ。友達と遊ぶのもこの公園が主戦場でした。

そんね思い出深いこうえんですが、

私の中に出てくる思い出の中で、

絶対的に忘れてはいけない公園での

思い出の必須アイテムがあります。

私の好きな食べ物・・・。

肉なら、牛タン、手羽、ぼんじり。魚なら、サンマ、コハダの新子。

つまみなら、タラの白子酢、鮟肝。

ご飯のお供は、カリカリに焼いたタラコか塩辛。

そして・・・。忘れられない食べ物は、ばあさんが握った”味噌おむすび”

私はこの味噌おむすびが大好きだった。

私の幼稚園時代は普段、週2回は母親の実家に帰り、

”若様”野遊びのお供をするのが決まり。

それ以外は、家に帰り、ばあちゃんに100円を貰って

近所の友達と遊びに行くのが定番でした。

両親はと言うと、教師でもある父親は、部活動もあるので、

朝早く家を出て、帰りも遅い。

母親は、自分の実家が経営する会社に夢中で、

あまり母親と遊んだ記憶は無い。

そんな私ですから、ばあちゃんとじいちゃんになつくのは

自然の成り行きでしょう。

幼稚園や小学校hが夏休みになると、

ラジオ体操が」始まり、ラジオ体操が終わって、

家に帰るのが面倒臭かった私や友達は

朝ごはんを持参してラジオ体操に行っていました。

私も、ばあちゃんに、味噌おむすびをつくってもらい、

じいちゃんから100円を貰って毎日公園へダッシュです。

ラジオ体操が終わると、近くの駄菓子屋兵器、

30円のジュースと竹櫛のついたイカを10円で買って

みんんあで丸テーブルのベンチで朝ごはん。

包みを開けると、普通のおむすびより

少しだけ大きいおむすびが2個。

そのおむすびの表面に味噌が塗ってあるだけの

簡単なものだったのですが、

これが食べると、メチャクチャうまかった。

毎日食べても、何度食べいぇもうまかった。

私が、あまりにも味噌おむすびが好きなのを見て

母親が何度か作ってくれたが、まったくの別物だった。

しょっぱすぎて、とてもじゃないけど食べられるものでは無かった。

あれってなんなんだったんだろう。

ばあさんの作るものってなんでもうまい。

アジの干物をやいてもらっても、母親が焼いたものより

格段にうまいし、食べていて楽しくなってくるのだ。

そんなばあさんが作ってくれる味噌おむすびを

公園で友達と食べるのが大好きだった。

おむすびを食べ終わすと、イカを口にくわえ、

町中の木をみんなで探索する。

木に開いた穴があれば竹櫛でほじくり返し、

クワガタをゲットするのだ。

その為に毎朝、10円のイカは必須の駄菓子だった。

一通り、木を探索し終わったら、公園に戻って、

みんなでお昼まで野球をして解散。

家に帰って、大好きなばあちゃんの作ったご飯を食べる。

午後は昼寝か友達が来れば遊びに行くのが定番だったな。

もちろん、例の公園だ。

ばあちゃんのご飯は最高だったけど、

まあ例外もあって、当時幼稚園の年中だった私に

「山椒の実煮たから食べな。」

と、ばあさんに言われて食べた時は、さすがに辛くて食えなかった。

そんな、おちゃめな一面も持ったばあさんだったが、

私が小学校3年になると、父親が家を建てたのをきっかけに

あまり会う機会が無くなってしまった。

行く気になれば歩いて10分程度だったので、

いつでも行けたのだが、たった10分とは言え、

環境が変わると、友達も変わるもので、

私は新しい友達と遊ぶのに夢中になっていた。

年に一回程度しか会わなくなっていた

じいさん、ばあさんと頻繁に会うようになったのは

私が25歳位になってからだろうか・・・。

恥ずかしながら、22歳の時に、父親から

「お前みたいな奴は、この家にはいらない。」

と言われ、絶縁勧告を受けた私は、一人暮らしを始めた私は、

毎日、仕事が終わればパチンコに行き、

その後は、お酒を飲み、

夜の街で遊びまわる生活をしていたのだが、

そんな事をしていれば、たいてたどり着くのは”金不足”だ。

その時も給料日前日にして、所持金は23円。

こんな時に限って、友達はだれも捕まらない。

夕方も7時を超えて、いよいよ腹も減ってどうしようかと悩んだ末、

思いついたのが、”ばあさん”だった。

こんな私でも、かなり悩みましたよ。

”こんな時にだけ、ばあさんに頼っていいのか?”

”確か最後にあったのは4年位前だったな・・。”

なんて思いながらも、背に腹は代えられないので、

とりあえず、じいさん、ばあさんの家に行ってみた。

久しぶりに顔を出した私を見て、初めは小戸絵置いていたが、

「とにかく上がれ。」と爺さんが言ってくれたので、

お言葉に甘えて家の中へ。

すして、いきなりばあさんが言う。

「何もないけど、ご飯食べてけ。」

・・・。なんか、私の心の中がよめるのだろうか?

それとも、私に顔が”腹減った。”みたいな顔してたのかな?

その時に出してもらったご飯は今でも覚えている。

ご飯と大根の味噌汁。アジの開きに切り干し大根の煮物。

そして・・・。山椒の実を似たもの。

幼稚園時代には辛かった山椒の実が大人になったら

やたらうまかったのが印象的だった。

相変わらずばあちゃんのご飯はうまいなあ。

等と思っていると、これまた、私が大人になってからの

ばあさんの定番でもあるお説教が始まった。

私には優しいばあさんだが、若い頃は町の教育委員で働いており、

教育長までやっていたのだから、お説教は、お手の物だ。

ただ、久しぶりに聞くばあさんのお説教は、昔とは違い、

なんだか聞いているうちに楽しくなってくるようなお説教だった。

ばあさんも笑いながら、「借金はするな、」

「じいさんだって、働いている時は貯金なんかなかったんだから、

今は貯金なんか気にすんな。」

なんて話をしていたと思う。最後はいつもじいさんが、

「統仁もタバコはやめろよ。俺なんか健康のために

スパッと辞めたぞ。60歳の時に。」で締めくくって話は終わる。

そんな事があってから、2、3か月に1回のペースで

ご飯を食べに行っていたのだが、

町の区画整理の為に、じいさんの家を建て替えることになり、

2人は一時、私の父親の家に引っ越すことになった。

その引っ越す少し前に、2人に会いに行った時だ。

ばあさんが、「来週の水曜日にまた来な。」と私に言った。

約咲く通りに、水曜日に家に行ったら、ご飯が用意されていた。

「いつも何時来るか分からないから、

統仁の好物を作ってやれなかったからね。」

と言って、並べられたその食事は、

子供の頃大好きだった、ばあちゃんんのご飯のオンパレードだた。

けんちん汁、切り干し大根の煮物と白菜の漬物。

ばあちゃんが似た豆にひじき。

トンカツまでついていた。そして、山椒の実を似たもの・・・。

”これは子供の頃は好きでは無かったな・・・”

などと、思う反面、”相変わらずのオチャメだな。”

いつまでも変わらないばあさんが嬉しかった。

そして最後に”味噌おむすび”。

「ばあちゃん指が曲がっちゃったから

昔みたいにできたかどうかは分からないけど・・・。」

等と言いながら出してくれた。

ばあちゃんの右手の人差し指は、

何年か前に神経の病気とかで、

第一関節から曲がったままになっているのだ。

そんな手で握ってくれた味噌オムすす日は、

他の料理もうまかったけど、格別の味がした。

父親に勘当されている身分としては、

実家に行くわけにもいかず、

2人とは、またしばらく疎遠になってしまったが、

次にばあちゃんと会ったのは”病院”

昨晩、心筋梗塞で運ばれたらしい。

12月の初旬だった。

当時私が働いていた会社は、

年末に正月飾りを卸しており、

短期集中商品な事もあり、売りの越は厳禁。

毎日、早朝から夜中まで関東一円を飛び回っていて

中々見舞いに行けなかった。

そんな中、年末に出張が決まり、

いったん会社に戻った私はじかんを作って見まいに行きました。

病院に着いて、病室に行く手前のホールに

じいさんがいたので声w掛けると「今眠ってる。」らしい。

じいさんと世間話を始めたのだが、じいさんに元気が無い。

「ばあさん、そんなに具合よくないのか?」と聞いy多所、

「ばあさんが入院したのに、子供たちが見舞いに来ない。」

と、私を見ながら寂しく笑った。

「統仁だけだよ、見舞いに来たのは・・・。」

何て言うじいさんを励ましていると、ばあさんが目を覚ました用土。

病室に行き、「ばあさん、見舞いに来たよ。」と、声をかけた。

「統仁かいお?ありがとうね。」

「今日から、年内は出張だから正月にまた会いに来るよ。」

「そうかい。待ってるよ・・・。」こんな会話だった。

そしてこれが、ばあさんとの最後の会話。

12月30日に病状が急変し、帰らぬひととなった。

すぐに駆けつけたかったが、その時私は千葉の市川にいて、

正月飾りの販売応援中。

会社に電話してmきたが。「替わりの人がいないからダメです。」

と電話を切られた・・・。

それでも、夜中に駆け付けたのだが、新築した家に入って

ばあさんの顔を見た時に、寂しいような、顔が見れてホッとしたような

複雑な気分だった。

そんなばあさんが握ってくれた味噌おむすびは

私の中で、今も一番のうまいものランキング1位だ。

そのうまかった味噌おむすびを食べていた

公園の丸テーブルに座り、今は妻と娘達といるのだから

なんだか小さな幸せを感じる。

そんな事を思っていたら、

次女のケイちゃんが笑顔で私に向って走って来た。

受け止めようと両手を出した私の目の前で

豪快に転び、大牧を始めた。

どうやら私は、ゆっくりと思い出に浸る時間も無いようだ。

higan7
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
他の人気記事もお届け!