高橋統仁です。

中学を卒業した高仁君。

小姓を目指すために、工業高校へ進学します。

まあ、この高校生活はつまらなかった。

思い出と言えるものは特に思い浮かばない。

一難の時に沢山問題起こしすぎて、1学期に無期停学。

同時に、校長に”日付の入っていない退学届”#を提出。

私の高校生活は校長が退学届けに日付をいれたら終了と

1年の1学期で決定した。

とは言っても、私は小姓になる為に卒業だけはし開ければならない。

仕方がないので、毎日学校には行く。

幸い、私の学校生活に文句を言うに音源もうなかったので、

毎日マンガ読んで寝てご飯食べて変えればいいだけだったので

登校自体はべつに苦ではなかった。

なにより、毎日電車に乗って、中学時代の仲間と話している方が

何倍も面白かったので、登校するのは嫌いではなかった。

その頃になると、中学時代の友人もそれぞれ違う高校に行き、

色々な仲間が出来て、私のm割にも一気に知り合いが据えた頃。

学校よりも、登下校したくて高校いってたな。

電車に乗って帰ってくるのも、先輩たちと一緒に

いつもの電車のいつもの車両に溜まって帰ってくる。

駅に着くと、他の仲間が返ってくるのを液に溜まって待っている。

タバコ吸いながら、大声で話して、目の前の派出所からお巡りさんが

走って駅の階段を上って来れば、全力で逃げる。

解散後は仲間の家に溜まって、そのあとパチンコ。

当時は羽根台と呼ばれるのパチンコ台が主流で、

大体8千円分も出たら”打ち止め”になっていた時代。

パチンコ台の釘を見て、千円も持っていけば、

5、6千円にはなって、明日のタバコ代とお昼代、

ガソリン代、パチンコのタネ銭くらいは稼げてから、

お金には困らなかった印象が強いな。

たまに打ち止め2回もしたら、みんなでご飯食べに行って

ずっとバカな話ばっかりしてた。

今考えると、一番他の祖かったのはあの時かもしれない。

月に一回位に4,5つの町の仲間全員集まって

夜通し酒飲んでたのもいい思い出。

当時、都県会社を経営している会社の息子さんがいて、

飯場を借りてよく飲み会をやった。

最盛期には、入れ代わり立ち代わりで50人は集まった。

カラオケして、酒飲んで、バカな話して、ともかく面白かったな。

その土建会社の息子さんとは、今でもいい友達。

最近まで、年1回は忘年会したりしていたが

私が体を壊してからは、あまり会ってないな・・・。そういえば。

土建会社の息子では可哀想だから、名前をつけよう。

”ヒロちゃん”だ。

そして、このヒロちゃんには私はいくつになってもかなわばいと

思わせるものを持っている。

”何が?”と言われると困るのだが、一緒に話していると

圧倒的な存在感を感じるのだ。

一種のオーラなのだろうか、話をしていると

憧れに似た感情が湧いて来る。

今では家業と継ぎ、立派な社長として会社を支えている

ヒロちゃん。私の大切な仲間の一人だ。

そんな事ばかりして過ごして高校生活も終わりを告げた所で、

わたしの【高仁録】少し趣向を変えようと思います。

私の過去を追って行っても面白くないので、

私の周りにいた仲間たちよ事件を中心に書いて行こうと思っています。

大体、オッサンの過去をよんでも意味ないですし、

どうせなら、残った時間も少ないw足しにとって、

つまらない事を書いている時間も勿体ない。

だったら、私の人生で感謝したい事や事件を書いたほうが

ナンボかマシ。と言う事にしました。

面白いやつも出てきますから、良かったら読んでください。