高橋統仁です。

さて、中学校に入学した”高仁君”

待っていたのは、”実の父親が先生でとして学校にいる。”

と言う事と、私の君主でもある”若様”。

ほぼ毎日、学校では”先生の息子”と陰で言われ、

3年にいた若様の友人からは、

「お前、若様の親戚か?」等と言われる生活です。

また、悪い事に、若様が”半グレ”になっていて、

学校でも、ちょっとだけ有名人になっていたのも災いした。

まあ、若様は若様なりに、”跡取り”と言うものに縛られ、

何か鬱積しているものもあったのかもしれない。

そんな訳で、私の中学1年生は、

”なるべく目立たないようにして生活する。”がテーマだった。

とは言っても、それはあくまで学校内での事。

若様を通じて悪い先輩と知り合いになり、

可愛がられ、そうなると同級生の不良達が集まってくる。

学校では目立たないようにしながら、

学校が終わると友人の家に溜まり遊ぶようになってくる。

この時、一緒に溜まっていた奴らは今でも友人だ。

10年合っていなくても、

まるで昨日一緒に遊んだように付き合える。

私にとって一生の宝物だ。

そんな私も2年生になり、

若様は卒業、父親は転勤と言う事で

学校からタンコブが2ついっぺんに消えた。

・・・。

まぁ、ハジけるよね。

仕方がないよね。だって一年間我慢していたんだもん。

本性を出した私は当然のごとく、

学校での評価も、成績も、生活態度も急降下し、

もちろん、そんな私の行動は父親の耳に入り、

家でも関係も悪化してくる。

将来、先生にしたい父親と、

”小姓”として母親の実家の工場で働かせたい母。

そんな板挟みの中、

まったくお構いなしに反抗期真っ最中の私では、

家族として生活するには無理がある。

後の話だが、

私と両親の間は冷え切り、家を出ることになる。

私は血の繋がった人間とは、

うまく家族を出来なかった。

今思うと私は妻と2人の娘との生活に拘り、

余命宣告を受けた後でも家族を大切に思うのは、

必要以上に家族と言うものを求めているのも、

この時期のトラウマなのかもしれない。

冷え切って行く家族とは裏腹に

友人たちとの遊びはヒートアップし、

毎日を楽しく暮らしていた中学時代。

こうして、高仁君の不毛な中学時代は過ぎて行った。