高橋統仁です。

”生きる為に闘う”方法を、NK細胞療法、

”死んで残す事”を、妻からは”子供の記憶に残る事”

私自身は”ブログ”と言う選択をしました。

もちろん、他にも出来ることがあれば

時間が許す限り、やっていきます。

ひとます指針を決まったので、

今回は【高仁録】として、私の過去のお話です。

1696年6月9日に私は3人兄弟の長男として、

誕生しました。

生まれた時から宿命づけられていた事。

それは”若様”に使えり事でした。

何時代だよ!!

なんて言う言葉が聞こえてきそうですが、

本当の話です。

私の母親の実家は二十何代か続く旗本の家系で、

本家の跡継ぎには代々、名前に決まった漢字を

一文字つけるのが決まりと言うお家柄。

現殿様の自慢は、

「俺が小学校卒業する時は、

武家の家系だから卒業証書は平民と違うものなんだ。

と言うもの。何度子の藩士を聞いた事か分かりません。

それでも今は経営している工場の経営不振で

二十何代続いた土地と家を銀行に取られて

アパート暮らしなんだから、それ位は聞いてやるのも

やさしさt言うものです。

その本家の跡継ぎというのが、ついてない事に

私の2つ上だったのです。

本家から私の家まで徒歩で約20分。年齢も近い事もあり、

私はこの”若様”の小姓に選ばれてしまったのです。

生まれながらにして私は将来は工場で

”若様”を補佐する事を決定づけられれしまっていました。

まぁ、私の父親は教員をしていたのもあり、

先生のしたかったし、高橋家は昔は大地主で

それなりのプライドもあって反対していましたが、

母親はすっかりその気。

信じられない話だと思うかもしれませんが、

40年以上前の田舎での話です。

さて、この”小姓と言うのは結構辛いもので、

絶対にやってはいけない事があります。

それは、”若様より優秀ではいけない。”

かけっこも勉強も若様よりも出来てはダメ!

もしかけっこで私が勝つと、

「若様に仕える身なのだから

これ位はやってもらわないとな!」

勉強で若様に勝つと、

「これで将来は若様のお役に立てるな!」

終始こんな感じ。

なので私は今でも自分が褒められるのが苦手。

会社で成績が良くて社長に褒められても

「○○さんが助けてくれたからできたので、

○○さんを褒めて挙げてください。」

等と言って、手柄を放棄したのは一度ではない。

そうしたこの関係は30年にわたって続いて行きます。

その話は追々書いていきますが、こんな家庭環境で、

まっすぐないい子が育つ訳もありません。

何も分からない小学生の頃は別ですが、

中学生にもなると理不尽」さを感じて

御多分に漏れず悪い道に進んでいきます。

だってねぇ、中学1年の時は同じ中学校に

先生として父親がいるし、3年生には”若様”もいる。

そんな環境で真面目に学校行ける人など、

私に言わせれば”異常者”だと思う。

まぁ、そんな感じで、毎日友人の家をたまり場にして

遊んででばかりいる”ダメ息子”が誕生したのですが、

さて、このダメ息子こと”高仁君”はどうなっていくのか?

そして何気に割愛した

いじめにあっていた小学生時代の”暗黒期”

それはまたの【唐人録】でお話ししましょう。