高橋統仁です。

私は基本的にはポジィティブ思考の人間です。

大学病院で癌の治療を放棄されても、

腎臓クリニックの医院長に、

緩和ケアに入院を勧められ、

2週間の命にされそうになっても

周りはどんどん私を死ぬ方向へ導き出していますが、

生きる為に」闘う事はやめる気がありません。

生きる為に始めたのがNK細胞療法だけ

と言うのも物足りない気はしますが、

今はこれを受けて様子を見るのが最善だと思っています。

”死ぬ覚悟”はとっくに出来ているつもりだし、

その為の行動も辞めるつもりはない。

死にたくないと毎日嘆いていれば癌が治るならそうするが、

そんなことないなら、嘆いているのは無駄。

そんな私ですが、余命宣告を受けてから

たった一度、”死にたくない”と思った出来事があります。

それは退院して間もない時でした。

その頃私は癌の影響なのでしょう

激ヤセにより体内に溜まった余計な水分の為に

重度の貧血状態と歩行障害に加え、

腹部全体の痛みに陥っていました。

結果的には激ヤセしたのに、

人工透析での除水不足が原因だったのですが、

当時、腎臓クリニックの先生から、

「お腹が痛いのは、癌の腫瘍が内臓を押しているせい。」

「横腹が痛いのは胆管結石に手術の後遺症。」

「貧血も呼吸が苦しいのも癌の影響だね。」

と言われており、それを信じきっていました。

だって私も癌になったのは初めてだったから、

どんな症状なのか分からなかったですしね。

「これが癌の苦しみか、想像以上に辛いな。」

等と、まったく的外れの診察を信じ、

病院から出される、まったく効果がなかった

鎮痛剤を飲んでいました。

そのうち、単なる除水不足だと判明し、

病院の先生の意味のない言い訳を聞きながら

除水を開始し、復活してきたのですが、

この一番つらい時期に私に”死にたくない”と思わせる

ひとつの出来事が起こります。

歩けない、寝られない、お腹が痛い状態ですから

家にいても何もできる訳も無く、

一日の殆どをソファーに座り過ごしている毎日。

顔は苦痛に歪み、呼吸は荒く、体も満足に動かせない。

そんな私をジーっと見つめている人がいました。

それは長女のミーちゃん。

子供ながらに普段のパパとは違うと感じているのか

最近は、「パパ自転車の練習に行こう!」とか、

「パパ、公園行きたい!」等のお誘いも遠慮しているようだ。

”娘のまで心配させてしまって情けない・・・。”

等と思ってはいるのですが、体は正直で全く動けない。

そんなある日、妻がケイちゃんをトイレに連れて行き、

部屋にミーちゃんと2人きりになった時。

そーっとミーちゃんが私に近づいてきて、

小さな声で、「ねぇ、パパ、パパは死んじゃうの?」

と悲しそうな目をこちらに向けて聞いてきた。

私は一瞬、返答に困り言葉が出なかったが、

「そんなことないよ、今は辛いけど元気になるよ。」

と、やっとの思いでミーちゃんに返事をした。

「うん、分かった!」

とミーちゃんは言っていたが、その顔には笑顔が見られず、

まだ不安を残した表情で私を見つめていたのを

私は今でも覚えている。

4歳児の口から”死”と言う言葉が出てきたのにも驚いたが、

あんな小さい子に、親の死を意識させてしまった事に

私は大きなショックを受けた。

この事を妻に話すと、

「最近、毎日私にも『パパ、死んじゃうの?』と聞いてくるし、

幼稚園でも、いつものミーちゃんではないって先生が言ってた。」

と妻から聞かされ、余計にショックを受けた。

そしてその夜、

ミーちゃんが私の座るソファーで遊んでいる時、

ふと言った独り言が私に”死にたくない”と思わせたのだ。

”ミーちゃんが死んじゃったら家族は3人。

パパが死んじゃったら家族は3人。

ミーちゃんは4人家族がだいすきだなぁ。”

これを聞いtら瞬間、全身が熱くなり、

不覚にも泣きそうになった。

そして、心の底から”死にたくない”と思った。

初めて癌であることを呪った。

結果は腎不全が原因の症状だったが、

当時は癌から来る症状だと思っていたし、

どちらにしても癌が原因で私は死ぬのである。

私は心の中でミーちゃんに謝る事しか出来なかった。

”ダメなパパでごめん。”、

”ミーちゃんが大きくなるまで見守ってあげられなくてゴメン。”

そして、”わずか4歳で死というものに向き合わせてゴメン。”

そんな私の心の中を見抜いたのか、

ミーちゃんはこちらを向き、笑顔を作り

「パパ、明日公園行けたら行こうね!」

と言ってきた。

その笑顔のの可愛さに、心の中で私は叫ぶ

”死にたくない!”